『狼が狙う獲物は、雲の上』 上
※一つに纏めるには少々長かったので三つに分けてあります。コレが一番最初、下に他二つがあります※
誰も居なくなりろくに手入れもされていない街道には雑草が生い茂り、街頭は折れ、外灯や家屋のガラスばかりが侵食する緑を飾っている。同じくして手入れを忘れ去られている家屋にも苔や黴が繁殖し、空気清浄も行われていない街中にはソレと瘴気と交じり合って一層に淀んだ空気を演出していた。
ただでさえ他の土地よりも遥かに高いものだから気圧の問題で常人には住み難く、上方の土地には見向きもされない其処は、スラムとしてすら機能せずにただ壊死していた。
何より問題なのが此処には滅法に異貌が多いと言うのも原因の一つなのだろう。国防と称して異貌を野放しにしてしまっているだけに彼等は繁殖し、事実此処にも迷い込んできたものを喰らい尽くそうと息を潜めている。
ソレイユ東北辺境都市ミラ。〝覇道〟の名を持つ賢者が治める、此処十数年のうちに目覚しい発展を遂げつつある土地の名前――
〝雲上の魔都〟と謳われる中腹に位置する都市がその名で呼ばれているのならば差し詰め此処は、〝雲睨の旧都〟と謳われるのだろう。
長い年月を掛けて上へ上へと這い上がっていったミラから置き忘れられた旧都ミラ。
そこには滅多に人が寄り付かなかった。だからこそ、ひっそりと佇む者にも無関心だった。
「惚れ薬、媚薬、自白剤、服従薬、etc.……ハッハッハ、成る程。確かに金になりそうだ。儲けは期待出来そうだなァおい」
廃墟の一角。若干入り組んだ街道の先。建物の位置関係か、周りの民家が盾となっているのか其処だけはまだまともな造りを維持している(とは言ってもガラスが割れていない程度で外見は苔や草が侵食してしまっているが)民家。ダイニング。此処の住人は四人家族だったのか、打ち捨てられ転がっている四つの椅子。そのうちの一つを起こして座っている男が一人。
テーブルには食べ掛けの焼き蕎麦や叉焼が並び、先程まではキンキンに冷えていたビール缶が五本程打ち捨てられている。
自分の家というワケでも無く不法侵入であろう事は、先程壊されたのであろうまだ新しい勝手口の破片が物語り、勿論街の中に充満している瘴気は此処にまで入ってきているのに平然としている様は、一般人でないことを証明している。食べ物の近くには、瘴気で傷んでもらっては困ると小型瘴気清浄機が置いてあるが本人には届いていないのも動かぬ証拠だろう。
最早誰も寄り付かないとは言え、人様の家に勝手に上がりこんで酒とつまみを堂々とやっている男は、手元にある資料らしきものを捲りながら、
『だけど、これからどうするの? ご要望どおりポストは用意したのだけれど、流石に派手に動きすぎたわ。如何な私と言えども、覇道の領地を相手取ってこれ以上如何こうは出来ないわよ』
「ハハハ、そこまでお膳立てて貰ったんだ。あとはオレの仕事、何、任せておけ。好きには遣らせて貰うが、成果は釣り付きで返してやるさ」
こんな電線一つに至るまで廃棄された街でも構わず通信可能なラクナス製の携帯電話で、物騒な話をしていた。
年齢は見た目三十代前半と言ったところだろうか。ろくに手入れもされていないのか乾き切った髪を、強引に後ろへと撫で付けているせいか獅子の鬣のように膨らんでいるくすんだ灰色の髪。同じように乾いた肌や扱けた頬は老けて見える一因にも見えるかもしれない。青年というには年が行って中年というには若い印象を抱かせる、少々エラの張った顔を笑みの形に歪ませて、もう用済みだと資料を床へとバラまいている。
中身には、ミラで売買されている非合法スレスレのドラッグの一覧、非合法なドラッグ各種、合法ドラッグ等々の詳細や売買場所が細かく記されていた。
調べれば誰にでも当たりがつくような資料とは言え、居たという痕跡を消さない辺り不真面目なのかやましい事が無いとでも言うつもりなのか、電話口の相手もいまいち面白く無さそうに鼻を鳴らしている辺りに予測はつきそうなその行動を当たり前の顔してやってのけている。
「さ、それじゃあアンタの役割は此処で終わりだ。あとはオレがやる事に、適当にノロノロしてくれてりゃあいい」
『程度によるわよ。相当派手にやるつもりなのでしょう? 自分の身上を考えなさいな、軍がやってきてもおかしくないのよ』
「古い友人からの忠告と受け取っていいのかねェ。それとも主従としての警告か。少なくとも後者だってんならお門違いだぜ。こっちは稼ぎ所を教えてもらって、そっちはそれを利用するってだけの話だろう? 互いに遣りたいことやってる結果なんだ、口出しすんな」
友人とでも談笑するような笑みはそのままに、コレ以上どうこうと言うのなら、と含みを持たせた言葉。
己の遣り方に口出しされるのを何より嫌う傾向にあるその男に対して、自分の言う事も聞けないのなら、と文句の一つも返したいところではある電話口の相手はそれでも一拍置いては謝罪の言葉を返している。今、全てを添うわけではないが優秀な手駒を失うわけには行かないという打算。ともすれば己にすら牙を向きかねないこの男の性質。それを考えて、こういう時には素直に謝っておくのが得策とでも考えたのだろう。
それを面白くも無さそうに受けては、ふんと鼻を鳴らしている男。普段ならば警告も無しに裏切りそうな男もまた、電話口の相手を敵に回すと厄介だとでも思っているらしい。
『食えない男。ろくな最期は迎えられないのではないんじゃない?』
「お互い様だクソババァ。末期の水なんて取らねぇぞ」
そんな軽口で、世間一般でいう所の仲直りに近い事を言ってから互いに笑い合う。
一般人の視点からしてみれば、たった一言で命の取り合いになり、たった一言で何事も無かったかのように仲直る生き物なんて異常の極みで、双方はだからこそ友人として必要だと言って見せるのだろう。
「と、そういやお宅の計画を所々で修正させてる例の集団な。まーた近くに居るそうだよ、全くなんの因果か。
もしかしたら戦る事になるかもなァ。なんだかんだで滅茶苦茶やってても腕は確かだ、雇い入れられている可能性もあるし、何せあそこの坊ちゃんはあの中の一人に夢中と来たもんだ。その場合は、仕事の完遂は保障できんね」
『ふぅん。珍しい言葉が出たものね。さしもの狼も虎には梃子摺るのかしら?』
「損得勘定による、と言いたい所だがねぇ。勝負に確実を求めるほど若く無ェんだよ」
ッハ。同感を含む苦笑と、心にも無い事をと呆れた失笑を等しく混ぜ合わせたような笑みを示し合わせたように双方が零す。
手を伸ばせばまだ残っているビール缶を取り、全て飲み干すべく大きく傾けては喉へと流し込み、相手に遠慮なく大きなゲップを出している。叉焼を一抓みしてから口の中に放り込んで、くちゃくちゃと音立てては味を噛み締めながら、買い置きしときゃよかったなと味の深みを感じながら吐息一つ。
『ではそろそろ行くといいわ。やはり有名人ね? グラッドストーンの坊やはもう――』
ふと視線が戸も窓も無い真横の壁へと向けられて、その間に焼き蕎麦の器を取り寄せたその瞬間。
轟音と共に巨大な槍がその壁を突き抜け、叉焼と空のビールと小型瘴気清浄機ごとテーブルを吹き飛ばし、更に向こうの壁へと突き抜けて隣の民家までぶち抜いていった。一秒にも満たない通過と、後に来る爆風、それに煽られて吹っ飛んでくる埃からマントを被せて焼き蕎麦を守りながら、ふぅ、と男は吐息を一つ。
「気付いてるどころかもう来たぞ。現場主義ったって中々出来るもんじゃねぇなァ、素晴らしい。あァおい耳大丈夫か?」
あまりの唐突な轟音に、慣れていない耳を刺激されたらしい。電話口からは驚いて転びでもしたのか、がたがたと騒音が聞こえる。
それに可笑しそうに笑いながら、焼き蕎麦を守ったはいいが肝心の割り箸を取り忘れている事に気付いた男。視線を外してみれば、粉々になってしまった破片の中に割り箸らしい木片を見つけて、Oh……、とか哀しそうな声を出している。
砲撃かと思うような一撃が至近を通過した事よりも割り箸が砕けた事に嘆いている男へと近づいてくるのは、槍を投げたであろう砲撃手。
瓦礫を踏み潰して歩いてきたのは、太い男だった。線が太い、眉が太い、目が太い、眼光も、息までも、全てが太いと表現出来る漢だった。
父譲りの風貌と、決して短くは無い戦闘歴とそれを続けてきた己自身の力量に、己自身の器量に、自信を持つが故の威圧感を持っている男。
姓をグラッドストーン。名をデリク。付随すべき号を〝豪傑〟とした彼がさて、何故此処に居るのかと言えばそれは自分が理由なのだろう。
「耳、大丈夫か? ちょいと用事だ、後で掛け直すよ。それじゃあな」
携帯の通話終了コマンドを押して通話を終了させた後、歩いてきた豪傑へと向けて、
「よう。なんて事してくれるんだ、オレの晩飯が滅茶苦茶じゃねェの」
なんて男は気軽に声を掛けたのだった。
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